患者目線の肝臓がん名医と手術
   肝臓がんの名医や手術、最新治療法について

 肝臓がん検診の注意点


肝臓がん検診は、ただ受ければそれでよいというものではありません。
病院の言いなりになるのではなく、主体的に押さえておくポイントをしっかり把握しておくことが、予防や早期発見につながります。
もちろんあいては医療のプロですから、信頼して任せることは大切ですが、丸投げは好ましくありません。
まず、肝臓がんの検診を受ける際の事前の注意事項があります。

当日になってのそのそと病院に行って、ただ言われた通り検査を受けて帰ってきたというのでは不十分です。
帰り道にどのような居酒屋で一杯引っ掛けようかを気にする人もいますが、そんなことよりも心を配るべき事柄があります。
健康を確認し、推進するためにわざわざ肝臓がん健診に出向くのですから、その効用を最大限に発揮するためにも準備が必要なのです。
ゴルフでもボウリングでも、練習がなければ良いプレーができないのと一緒です。

普段は健康のことなど二の次にして暮らしているにしても、それを無視しているわけにもいかないという自覚が多かれ少なかれあるからこそ、肝臓がん健診に赴いているはずです。
それなら、一手間加えることにより、その効果を高めるところまで手を伸ばしましょう。
仕事だって時間ぎりぎりに通勤するよりも、思わず時間ができて散歩がてら道を変えてみたら普段は気にとめたことも無かったコスモスが咲いていて、心安らぐというようなこともあります。
ちょっとした遊び心を持てるかどうかによって人生の豊かさは異なってきますし、肝臓がん健診だって義務的に行くだけではなく、名医や権威ある医師がいそうかどうか関心を持ちながら病院に行くだけでも退屈を紛らわせることができるはずです。
名医や権威ならどのような立ち振る舞いをし、他のスタッフからどのように慕われているかを想像しながら歩いていれば、病院は格好の観察の舞台です。

目的もなくただ肝臓がん検診に行けば、時間を取られたという被害妄想ばかりが膨らみます。
本当は自分の体のためであるということを認識し、さらにそこから一工夫することにより、暇な時間が有意義で濃度の濃い時間に変化するのです。
趣味だって没頭すればあっという間に時間が流れていきますが、興味のない他人から見たら理解不能なものでしょう。
それは肝臓がんの健診にだって当てはまることで、ただの年中行事のように通っているだけでは意味が見いだせなくても、本来の目的を忘れることなく、さらにもう一歩意味を深めようとする姿勢さえあれば、とても意義深い時間を過ごせるはずです。

医学の粋を集めた医療機関は、ナイアガラの滝のような観光地にも負けないだけの興味深い観察対象のはずです。
漠然と行くだけだから、無機質なイメージを病院に持つだけで肝臓がん健診を終えてしまうのです。
せっかく病院に行くのなら、次のような点はチェックしておきましょう。


 最先端医療技術で肝臓がん完治


名医を見つけ最先端医療技術で肝臓がん完治というのは、告知を受けた患者としては当然の希望です。
何かの間違いではなく、病気の宣告が正しいというのであれば、あとはそれを治療するしかありません。

最先端医療技術で肝臓がん完治を目指すにも、やはり名医の手助けが必要です。
なにしろ、医療の世界は日々怒涛のように進化しているものです。
病気は誰しもが関係している深刻な問題。
それだけに、研究は世界各地で行われています。

日本だけで考えても、医大に入るのはとても困難なことです。
その難関を乗り越えた優秀な頭脳が日夜研究にいそしんでいるのです。
肝臓がんの最先端医療技術を把握するだけでも、並大抵のことではありません。
まして、それを身に付けて実用可能なレベルにするとなれば、もはや名医の域に達している医師でなくては足りないでしょう。

並大抵の意欲では、到底日進月歩の医学の進化にはついていけません。
患者の肝臓がんを最先端医療技術で完治させたいと切に願う誠実さがあって、初めて可能になることでしょう。
優秀さと情熱を兼ね備えて、初めて名医になれるということでしょうか。

1日や2日であれば、人間はがんばれるものです。
しかし、それが10年、20年となればどうでしょう?
それだけの期間、真剣に走りつづけられる人間は、社会の中でもごくわずかではないでしょうか。
毎日治療と研究に明け暮れ、名医になって最先端医療技術で肝臓がんを完治させようという医師が少数しかいないのも、無理のない話なのです。

医学会病院が堕落しているということではなく、それだけの困難を克服できる人間の方が、世の中において少数派なのですから。
患者は、自分が死の危険に直面しているため、名医の最先端医療技術で肝臓がんを完治させたいと深刻な願いを持っていますが、治療する医師や病院側にとって、それはただの仕事でしかありません。
残念ながら、彼ら医療関係者にとって、患者はお金を運んでくるお客でしかないという一面を持っています。
この温度差が、名医不足を嘆く患者と、そんな水準を目指さない病院関係者との間の深い溝になるのでしょう。

名医の最先端医療技術で肝臓がん完治、これは患者にとって見果てぬ夢であり、現実にはなかなか難しいところです。
大半は、従来どおりの手術や副作用を伴う抗がん剤治療に終始する結果になってしまうのも、ある意味仕方のないところなのです。

経済の大原則として、需給バランスというものがあります。
需要が多くて供給量が少なければ、値段は上がっていくというものです。
まさに名医はこの状態にあります。
どこへいっても引っ張りだこの状態。

そんな名医から肝臓がんの最先端医療技術を受ければ、完治できなかったとしても、納得はできるのかもしれません。
ベストを尽くした上での結果と、くすぶって燃え残ったままなのとでは、まるで満足度が違います。
胸を張って自分の人生を悔いなく生きられたと言い切るためには、やはり最後まで手を尽くし、力を振り絞ることです。

名医の肝臓がん最先端医療技術で完治できるかもしれないという希望があるのなら、その可能性にかけて名医のいる病院を探してみるべきではないでしょうか。
それは悪あがきにしかならないかもしれません。
しかし、死を意識した今、そんな悠長なことを気にかけている場合ではありません。
可能性があるのなら、どのようにわずかな可能性であっても、そこに全力投球する価値があります。

生き延びようとする人を応援する環境はあっても、その姿勢をあざ笑う者などそうはいません。
あなたが必死で、名医の最先端医療技術で肝臓がんを完治させようともがいていれば、手を差し伸べてくれる人も現われるかもしれません。
それはかかりつけの病院からの紹介かもしれませんし、闘病生活を送る知人を持つ友人かもしれません。

できることはあるはずです。
闘病記を呼んでみるということも、その一つでしょう。
他の患者はどのようにして闘病生活を送ったかということは、心の励みにもなるはずです。
中には、肝臓がんの最先端医療技術で完治したという話だって載っているかもしれません。

何も行動を起こさなければ、結果も何も変わりません。
たった一歩を踏み出す勇気が、不透明で灰色になってしまった生活を、再び明るい暮らしに戻してくれる可能性だって秘めているのです。
人生をあきらめるという悲しい決断をまだ下していないのであれば、肝臓がんを最先端医療技術で完治させるということに、真剣に取り組んでみてはいかがでしょう?

名医を見つけることさえできれば、あとは1人で孤軍奮闘などする必要がなくなります。
医学のプロフェッショナルが味方につけば、素人である患者が孤独に闘病生活を送っているよりも、はるかに効率的な治療を望むことができます。
そこには、最先端医療技術を含めた肝臓がん完治への方策があります。


 肝臓がん闘病記~名医探しの方法~


様々な肝臓がん闘病記を読んでいて、名医を探す方法がもっとも大きな関心となりました。
名医が見つかったことで、八方塞がりだった病状に光が射してきたという話もあります。
信頼できる医師が見つかるかどうかが分岐点になっている肝臓がん闘病記に触れたことで、次の行動は決まりました。

自分もまた、力量のある医者を探すという決意ができたのです。
ただし、私も医学に関してはまったくの素人です。
門外漢にとって、どのような方法で探して出せばいいのかは、見当もつきませんでした。

やみくもに病院を回りつづけたら、それでいいというものでもないでしょう。
そもそも名医と平均的な医師、そしてヤブ医者の違いというものはどこにあるのでしょう?
私なりに肝臓がんの闘病記を分析したところ、3つの評価基準があるのではないかと思います。

まず1つ目は、最新治療法についての習熟度や最先端医療技術・手術におけるレベルです。
名医であるには、当然ながら知識と技術が必要です。
これは肝臓がんの闘病記のを読むまでもないことでしょう。
常識とすら言えることです。

日々進化する最先端医療技術を知らずして、昨日までと同じ治療法を繰り返すだけの医師では、井の中の蛙と呼ばれても仕方ありません。
やがて、1日の差は10年、20年の遅れにつながります。
自分が肝臓がん闘病記を書いたとき、そんな医師や病院に命を任せていたことを誇れるでしょうか?
きっと後悔するだけではないでしょうか?

そうであるなら、まずはこの必要最低限な条件は満たしていなければ信頼できないことになりません。
しかし、医学知識や最先端医療技術を駆使できることは、名医であるための必要条件ではあっても、十分条件ではありません。
そのことは肝臓がん闘病記を読んでいるとよくわかります。

まさにそれが名医の第2の条件になります。
それはすなわち、患者の心のケアをする能力です。
いくら人体の仕組みや病気の解明が得意であっても、患者はあくまで人間です。感情が伴います。
その感情を汲み取る力がどれだけ患者に安心感を与えるかは、各種肝臓がん闘病記に載っているところです。

心と身体は別の者のようで、つながっているものです。
ストレスがかかれば、肉体の免疫力は落ちますし、場合によっては不眠や胃痛を引き起こしたりもします。
当然のことながら、肝臓がん闘病記に描かれている人たちは、病気という深刻なストレスを抱えています。
それを専門家である医師や医療関係者の言葉・態度で軽減することができれば、マイナスな感情から抜け出す有力な手助けになります。

前向きな気持ちになることの大切さは、肝臓がん闘病記を読んでいれば分かるのではないでしょうか。
毎日を不安の中で暮らすより、明るい気持ちで生活したいというのは、人間として当たり前の欲求です。
そのことがまだ生きていく活力を生み出すことにもなり、治療の一助にもなります。

それだけ重要な精神面をどうフォローすることができるかというのは、名医であるかどうかの大きな分岐点と評価してよいでしょう。
医師や病院を信頼できるかどうかが、どれだけ心の平穏につながるかを如実に物語るのが肝臓がん闘病記です。
あなたが今日、暗い思いを抱えているのは、一人で抱え込んでしまっているということが要因の一つに挙げられるかもしれません。

その重荷を一緒に背負ってくれるプロがいてくれれば、どれだけ負担が減ることでしょう。
1人では気が滅入るのは無理もありません。
肝臓がん闘病記を読むことで、同じ悩みを抱える患者の存在を知り、孤独を紛らわせてくれるという効果はあります。
しかし、身近で支えてくれる人の代わりになるものではありません。
やはり、生身の人間は必要なのです。

その意味で、名医の称号を得るための条件として、患者の精神のケアをできるかどうかということははずすことはできないでしょう。
言い回しや態度一つで、患者に不安や絶望を味わわせることも出来れば、反対に希望や喜びを引き出すこともできる立場にいるのが医者です。
実際、肝臓がん闘病記の中でも、彼らのことはしばしば語られています。
二人三脚で歩いていけると確信できる医師を見つけ出せるかどうかは、見過ごすことのできない大問題です。

名医の第3の条件としては、患者によって対応を変えられる柔軟性が挙げられます。
たとえば、とにかく1日でも長生きしたいという患者と、寿命を縮めてでも自分のしたいことをしてから死にたいという患者とでは、当然必要な処置の方法が変わってきます。
人生観は人それぞれなもの、肝臓がん闘病記から、満足できた出来事を拾い読みしていっても、病気の回復の見込みが出てきたことを描写しているものもあれば、人生の目標を一つ達成できたことを挙げる人もいます。

誰もが望む幸せの形など、世界には存在していません。
個々それぞれに望むものが違うという差異を理解し、行動に落とし込むことは病院側にとっては大きな負担でしょう。
しかし、それを具現化している医療機関を探し出すことが、患者にとっては幸せな今後の生活を送るためには欠かせません。

いつか、肝臓がん闘病記を書くとしたら、あなたはどんな内容にしたいですか?
その答えには、あなたの価値観が反映されているはずです。
自分自身を分析することも時には必要なこと、この機会に自分自身の心に問い掛けて見てはいかがでしょう。



 肝臓がんの痛みを和らげるために


肝臓がんの痛みといかに付き合っていくかということは、病状の進んだ患者としては、避けては通れない関心事です。
我慢は大切ですが、それだけで何もかも済ませることができるわけではありません。
苦痛が激しければストレスになり、生命力を削ぐ結果になりかねません。

そうなると、肝臓がんの痛みを和らげる方法を知ることが大切になってきます。
動物は、快楽を求める性質を本能的に遺伝子に組み込まれていますし、辛いことは遠ざけたがります。
生きるのが辛ければ、身体が免疫力を落としたりして、生きることそのものから逃れようとしてしまいます。

毎日がひどい肝臓がんの痛みにさいなまれていては、明るく暮らすなんていうことは望めません。
いくら前向きに気持ちを保とうとしたところで、そう自由に精神はコントロールできるものではありません。
名医であっても、あなたに24時間ついていてくれるわけではありません。
病院がやっていない時間帯に、肝臓がんの痛みに襲われることも当然あるはずです。
それでも、あなたは真正面からそれを受け止め、乗り越えなくてはなりません。
逃げたくても、逃げることなど許されないのです。

それは辛いことでしょう。
しかし、現実派待ったなしです。
病気の告知を受け、肝臓がんの痛みを感じ始めたのなら、嫌でもそこに立ち向かわざるをえないのです。
健康を当然の条件と考えてきた過去とは決別しましょう。

肝臓がんの痛みにさいなまれずに過ごせる時間の貴重さに気付くことで、人生を豊かに過ごすこともできるはずです。
かつては風邪を引くと、日常の暮らしの中でいかに健康が尊いものかを理解して、完治しては忘れていたものですが、それをはるかにしのぐ真剣さで今、闘病生活を送る人々がいます。
その必死さは、人生を有意義にすることに貢献するはずです。

テレビCMでも流れていた、肝臓がんの痛みを我慢しないということは、大切なことです。
1人で抱え込んでしまうことで、本来他の解決法があったものが、消耗戦に突入してしまう結果になりかねません。
専門家である名医の力を借りることが出来れば、千人力です。

1人での孤独な闘いより、プロと共同での勝負の方が有利なのは自明なことです。
あなたには、肝臓がんの痛みを気軽に相談できる主治医がいますか?
その一点で、これからの人生が大きく左右されることにもなります。

我慢は美徳ではありますが、度を越えれば自分の首を締めることにもなりえます。
肝臓がんの痛みを1人で抱え込み、耐え切れなくなった頃に主治医に相談しても、もはや進行が進んでいて手の内ようがなくなっている、そんな悪循環を避けるためには、やはり早期に打ち明けてしまうことが大切です。

それを怠ってしまったために、必要以上に肝臓がんの痛みがひどくなってしまったときに困るのは、他ならぬあなた自身です。
身体は誰でも一つしか持てません。
加齢とともにあちこちに負担がかかるのは避けられないこと。
それならば、深刻な事態になる前にメンテナンスを行って、自分の健康を維持する努力が必要です。

言うはやすし、行うは難し、という言葉があります。
実際、肝臓がんの痛みで塞ぎ込んでしまう日もあります。
もう誰とも口を利きたくないと自暴自棄なき持ちになってしまった時に、医師に相談をするのは簡単なことではないでしょう。
それでも、しなくてはならないのです。

冷たい言い方ですが、あなた自身のことはあなたがやらなくてはいけません。
黙っていても誰かが助けてくれるだろうというのは、あまりにも楽観的過ぎる観測です。
肝臓がんの痛みがひどいなら、専門家である名医に助けを請わなくてはなりません。

名医であれば、肝臓がんの痛みを軽減させる方法をもっている可能性は十分にあります。
また、薬の処方を変更することで、楽になることもあります。
しかし、それは患者にはわからないことです。
だからこそ、名医に相談する必要があるのです。

もちろん、名医が見つかっていない状態であれば、現在の主治医に相談ということになるでしょう。
それでも専門家には間違いないのですから、医学の素人である患者の勝手な思い込みよりは期待が持てるというものです。
少しでも肝臓がんの痛みが和らげば、残りの人生を充実した明るいものにすることができるはずです。

自分で勉強することは価値のあることですが、医学生並みの知識を得るのにも数ヶ月から数年を要します。
それまでの間にも、病気は進行し、対処が困難になっていきます。
肝臓がんの痛みも、当然処置のしようがなくなっていく可能性が高まっていくということです。

だからこそ、こんな時には名医の力を借りるのです。
賢い人は、専門家をうまく使う術を知っています。
何もかもを自分でやろうとするより、人に頼めることは頼んでしまうのです。
もちろん、肝臓がんの痛みの緩和というのも、プロに知恵を拝借したほうが良いことの一つです。



 肝臓がんと死


「がん治療」悩んでないで医師電話相談

全国のフコイダン療法推進医師との電話相談をしながら正しく「フコイダン」を

取り入れていただける「超高濃度フコイダン30」の健康ぐみです。


肝臓がんと死というテーマが、告知を受けてまず真っ先に考えるものでしょう。
たしかに命に関わる病気です。
運良くはじめから名医に手術や抗がん剤治療をしてもらえたり、自分に合う健康食品を見つけられることはまれです。

自然と肝臓がんによる死というイメージが頭の中に広がってくるのも当然のことです。
深刻な病気は、人生の間にそう何度も経験するものではありません。
それだけに、なおさら思いつめてしまうものです。

名医のいる病院を探すにはどうしたらいいのか、今いる病院やそこの医師は大丈夫なのか、そんな疑問はすぐに解決することはできないでしょう。
患者は医学に関し、まったくの素人です。
告知を受けてから勉強することで、徐々に知識は身についてきますが、当初はそうもいきません。
まずは頼れるプロ、つまり名医を見つけることが肝臓がんで死を招かないために必要な方策となります。

感情が揺れ、冷静な判断が出来ないときには、下手に動かないことです。
そんなときに余計な決断をしてもろくなことはありません。
はやまるべきではありません。
いくら肝臓がんでも死が確定したわけではないのです。

むしろ、医療技術の発達した現代では、症状が進行している場合であっても、余命を自分らしく生きるか、それとも延命を第一にするかという選択肢があるものです。
もちろん、そこまで深刻な状況じゃなければ、完治を望める場合もあります。
肝臓がんと死は、必ずしも直結しているというものではないのです。

ただ、そうはいっても、甘い病気ではないことは確かです。
不治の病ではないにしろ、命取りにもなりかねない病名を聞かされて、動揺一つしないというのは期待できません。
そこまで合理的な存在である必要もないでしょう。
ただ、告知を受けてすぐに、肝臓がんで死ぬんだという早とちりをして諦めないでください。

絶望は気力を奪い、ひいては体調にも悪影響を及ぼします。
希望を強く抱くことで、生命力を高めることこそ、患者が自分の責任においてなすことのできる方法なのです。
抗がん剤による投薬治療や手術はもちろん大切な治療方法ですが、患者に生きる希望がなくなっていたら、それも効果半減です。
肝臓がんで死ぬか生きるかは、医師だけでなく、患者自身にもかかっているのです。

重荷を背負わせるようですが、いくら深刻な病気にかかっているからと言って、他人があなたを助けてくれるわけではありません。
もちろん、力を借りることは大いにあるでしょう。
しかし、最終的な選択や行動を起こすのは、やはり他ならぬあなた自身なのです。
肝臓がんで死を迎えることを望まないのであれば、それは口に出して断るだけではたりません。
行動で示す必要があります。

賢人は苦難を前にして、それを乗り越える計画を作成し、実行に移します。
その過程で適宜修正を行い、最適な行動を探るのです。
肝臓がんと死というテーマについても、同じようにアプローチしていくことが求められます。

まずはどのような治療方針を望むのか、自分の深層心理に静かに問いかけ、答えを引き出します。
答えが見えてきたら、それを実現できる医療機関を探します。
場合によっては、いくつもの病院を転々とすることになるかもしれません。
決して楽なことではありませんが、労を嫌ってはいけません。
肝臓がんで死ぬという最悪のシナリオを思い描けば、いま努力をすることがどれだけ有用なことかが理解できるはずです。

まったく不慣れなことをするのは気が進まないものですが、そうわがままを言っていられる状況ではないのです。
人生が終わってしまうかもしれないという時に、怠惰を前面に出している場合ではありません。
これまで見せたことのないほどの勤勉さを、今こそ発揮するときです。
そして、肝臓がんと死とを切り離すのです。

並みの医師には延命が精一杯でも、名医の手にかかれば完治可能と言うこともあります。
医療機関により、設備の格差も存在しています。
だからこそ、近くの大学病院に通えばそれでいいというものではないのです。

肝臓がんによる死亡を防ぐために、今の治療は最善かという問いかけを、常に自分自身に与えることを忘れないでください。
最終的には、答えはあなたの中にあります。
あなたの人生の答えは、あなた自身が出すものです。

精一杯生きて、肝臓がんで死ぬことも本望だと心から確信できたのであれば、それを尊重するのもいいでしょう。
とにかく1日でも長生きがしたいというのも結構です。
重要なのは、自分がこれから残った人生に何を求めるかを明確に理解しておくことです。
そこが曖昧だと、いつも気持ちが動揺しつづけます。

一流のアスリートが試合で追い込まれたとき、その場面を打開できるか、そのままスランプに陥ってしまうかで選手の格が決まります。

闘病生活を送っているなら、まさに今が人生の正念場です。
肝臓がんと死という問題について、真剣に向き合ってください。
そして、残りの人生で何が出来るかを考えましょう。



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